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百間川遺跡。発掘調査中

原尾島の国道橋の下。百間川遺跡の発掘中。(夏の画像です)
百間川原尾島遺跡発掘中


弥生時代から江戸時代の田んぼの遺跡が層になって埋まっています。
(弥生時代の発掘調査をするということは、上層の江戸時代や平安時代の遺跡を壊すことです。
 いまは、各時代の遺跡を「階段状」に発掘しています。)

弥生遺跡というと、竪穴式住居が教科書でも紹介されますが、
このへんは、旭川の流れを操山が阻むように塞いでいる、「後背地」で、もともと住居にはむいてない土地です。

(住居は近くの「微高地」に集落の遺跡あり。そこからだんだん農地を広げていったもの。)

70年代の「減反」政策まで、一貫して「水田」として利用されたため、この遺跡は、
日本の稲作の歴史そのものの遺跡でもあります。

弥生時代に、「田植え」によって規則正しく稲株が植わっていたことも、株跡がそのまま泥の下で残っていたことで裏付けられています。
(これ自体がすごく貴重な資料です)
百間川原尾島遺跡の稲株痕跡
岡山県 古代吉備文化財センター より)

 弥生時代の米の「反収」が約200kg(/10a)と推定されていますが、
(佐藤洋一郎教授ほか)
近代の、肥料や機械の投入以前まで、このレベルはほとんど変化してないそうです。
(いま、約500~600kg/10a)
つまりはすでに「完成型」に近い技術があったわけです。

 もちろん、農業には「あたり外れ」があるので、「あたり」年に200kgでも、「はずれ」にゼロになります。
洪水のたびに「ゼロ」を経験しながら、次の田んぼを作ってきたのが、百間川遺跡の稲作の歴史です。


 ということを、もっとアピールしてもいいんじゃない?
 県教委。
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テーマ : 岡山県
ジャンル : 地域情報

プロフィール

おっさん@社会福祉士

Author:おっさん@社会福祉士
お芝居は好きですが、
「ハッピーエンド」の話はもの足りん、という、困った奴?
安物のフィクションより、現実のほうがドラマチックと思うと、「非日常」を求めて観劇する意義が薄れる。

自称「すきま研究者」。誰もやってないことは、自分が先頭に立てるはずだが、誰もやってないことを確認するのも難しい。誰もいないと寂しいし・・。というジレンマ。

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